地方公務員だった私、子育てと両立のために退職した話




元々地方公務員の正職員として勤務しておりましたが、退職しています。

頑張れば期末勤勉手当という名のボーナスが貰えて、給与は高くなくとも安定、福利厚生も手厚い公務員を何故辞めてしまったのか、よく聞かれます。

まずは私の経歴から

  • 地元の公立小学校・中学校を卒業し、
  • 偏差値低めの私立高校を卒業し(ホント親に感謝)、
  • 新卒で地方公務員として勤務

「頑張っていい高校にギリギリで入って、入学してからしんどい思いするなら、余裕で入れる高校でいい点数を取りたい。」という理由で私立を選び、それを認めてくれた親には本当に感謝しています。

素敵なJKライフ

高校大好き女だった私は、なんと3年間無遅刻無欠席の皆勤賞を頂いております。

卒業式の時に表彰されるのですが、周りは屈強な、推薦で入った運動部員ばかり。

それに反して帰宅部の私…逆に恥ずかしいわ!

そして、前述の理由で選んだ高校なので、きちんと点数は取ろうと頑張っておりましたため、クラスので順位は1位か2位、学年でもトップ10には入るようにしていました。

進学する気はさらさらなかったので、コース選択では就職メインのコースを選び、「どうせ学べるなら」と、高校での資格系の授業は全て受けました。

そして、検定料がもったいないので、色んな資格において、学校基準で本来4級や3級から受験するところを、1級や初段をさっさと取ってしまう、ある種ひねくれ者でもありました。

でも、さっさと上級の資格を取ると、その後他の皆が資格勉強をする中で、別の勉強を進められるので効率的だったなあと思います。

そんな生活でしたので、楽しい高校生活を送りながら、資格だけはたくさん取得した「ただのJKから履歴書の資格欄めちゃくちゃ埋められる女」に昇格(?)したのです。

なぜ公務員を選んだのか?

「よく受かったね!」

と、よく言われたものです。先生方も、結構喜んでくださいました。

でも、そもそもなぜ公務員だったのか?

私自身、高校に入学する時は、卒業したら民間で働くぞ!と思っていた…というより、公務員なんて選択肢はありませんでした。

よく分からなかったので。

そんなこんなで高校1年生が終わる頃…あの東日本大震災でした。

産まれも育ちも宮城なので、現地であの震災を経験しています。

その時の公務員の方々の素晴らしさといったら。

どの公務員もです。行政も教職も、警察、自衛隊含め全て。

住民を守るために殉職された方もいます。

これらの出来事は、しばらく私の中に引っ掛かりを付けて残りました。

それから1年後。

高校3年生になる時、とあるきっかけで自分の夢を公表することがありました。

明確な“夢”が無かった私でしたが、その時にふと、震災時のことを思い出し、胸の引っ掛かりを再認識したのです。

そこで思ったのが、

ということでした。

公務員試験対策(高卒程度)

実は、これに関して1番知りたいところだと思うのですが、これといってお伝えできることがないのです。

強いて言えば、

  1. 夏休みに公務員対策の講習に通った(1週間)
  2. 数的処理に重きを置いた
  3. 土日はクレペリン検査をひとまず朝晩
  4. 作文はほぼ毎日書いて、担任に提出 → 添削
  5. 面接練習は、担当教師との“おしゃべり”

といったところでしょうか。私の一般教養は、実にかわいそうなレベルと思ってください。

クラスで1位を取ったとて、あくまでただのテストの点数なのです。

その場しのぎの勉強なので、ちっとも頭にはのこっていません。

ただ、公務員試験って大体選択問題なので、答えが分からなくても当たることがあるのです。

一次試験の筆記が受かったのは、きっと運が良かっただけでしょうね…

公務員対策講習

進路希望で公務員と書いていたので、色んな先生が注目してくれたんですね。

だから、「こんな講習があるから受けてみなさい。」と教えてくださったのです。過去問資料ひとつ持っていなかったので、高3の夏休みに受講しました。

「なんかみんなレベル高そう。」

が、最初の感想で、最後までそう思っていました。笑

公務員になりたい方向けの専門学校での受講だったのですが、さすが先生方、教え方が上手でわかりやすかったです。

「この先生たちはなぜ行政に行かなかったのか?」

というのが受講生の中で話題でした。今でも何でなのか分かりません。

この講習でテキストをいただいたのですが、私が試験を受けるまでに使ったのはこのテキストのみです。

無料の講座で無料で貰ったものなのに、これだけで合格できたのはなかなかコスパが良かったと思います。私立女だけど。(ホント親ありがとう。)

数的処理に重きを置いた

数的処理って、The公務員試験という感じの問題が出てきます。

一般教養ではない、独特の解き方があるんですよね。文章を読んで、「嘘をついているのは誰か」を当てるような問題です。

レイトン教授シリーズのゲームをご存知でしょうか?

あのような問題が出てきます。

これは、過去問等で解き方のパターンさえ掴めれば、十分高得点を狙えると思い、重点的に学びました。

本当に私は一般教養がなく、且つ時間もなかったので、「解けそうで配点の多くをカバー出来るもの」にフォーカスを当てて勉強しました。

「勉強しました」

なんて言えるほどの時間は勉強していなかったですけどね…

そもそも勉強する時間をきちんと作れる人は、一般教養が身についているはずです。

土日はクレペリン

私の公務員試験について担当してくださった先生が、何枚かクレペリン検査用紙をくださいました。

「YouTubeで検査の音源あるから、それを使って訓練しましょう。」

とのこと。

クレペリン検査では、集中力だったり、計算力を見られると言われています。

横に長い紙に、ひたっすら数字が何列も羅列しています。

その隣り合った数字を足して、回答を間にちまちま書いていく、というものです。因みに答えが2桁の場合は、1の位の数字だけを記入します。

ちまちま計算して1分が経つと、合図の音があり、次の列の計算をし始めるものです。

それを何度も繰り返し、最終的に回答の最後を線で結んだときに ( のような形になっていると、点数が高いと聞いたことがあります。

最初は集中力があるのでそこそこ回答出来る → 中盤集中力切れてくる → 終盤立て直す

というのが良いそうです。今もそういう基準なんですかね?

ひたすらやり続けて訓練するのみ、といった感じでした。鉛筆で書いて、用紙が無くなったら消してまた繰り返す…といった形を取りました。

作文を毎日書いて、担任に添削してもらう

「うちの学校から、行政事務公務員が出るかもしれない」

と、期待をしてくれていた担任の先生からは、毎日作文のお題を出されました。

私が受けたところは、高卒程度は作文のみ。小論文なんてものはありません。

文章力は、本をたくさん読んだり書いたりすることで向上していくと言われている、と、先生にご教示いただきました。

今ではこんな文章しか書けない私ですが、学生の頃は作文で賞をいただくこともありました。

そのため、作文に関しては苦手意識がなかったので、毎日楽しかったです。

友人には「よくやってるね。」と言われましたが、先生が最後のお題のとき、「目指せ◯◯(自治体)期待の星!」と言ってくださったのがとても嬉しくて、今でも覚えています。

先生ごめんね退職しました。

面接練習は担当教師とのおしゃべり

週に何回か、放課後に担当の先生に呼ばれることがありました。担任とは別で、講習を勧めてくださった先生です。

面接練習といえば、身だしなみを整えた上で、

コンコンコン「失礼します。(両手でドアを閉める。椅子まで歩く。)◯◯高等学校より参りました……。」

から始めて、本当の面接のように質問が飛んでくる、なんてものですよね。

ただ、私の場合は、その先生の過去の栄光話だったり、なんで教師になったのかだったり、そう言ったお話を聞きながらこちらが質問する、というただの「世間話」だったのです。

なぜだったのか、内定をいただいた後に聞いてみたところ、

  • 通常の学校生活において教師陣とよく話しているところを見ていたから
  • 身だしなみに問題が無いから(第一ボタン開けたりネクタイ緩めたりしないタイプ)
  • 大人に対して簡単に「質問」が出来る高校生は「回答」もすぐ出来るから

とのことです。これはあくまでこの先生の考えが入っていると思うので、全員が当てはまるものではないと思いますが、結果的にこの考えの下での「世間話」のおかげで、合格できています。

制服を着崩すことはせず、大人とたくさん話して鍛えろ、というところなんでしょうかね。

実は成績開示をしたのですが、教科系の一次試験はギリギリ受かったくらいの点数だったものの、クレペリン・作文・面接の二次試験でものすごい点数を叩き出し、最終順位では5本指に入ることが出来ています。

私の公務員生活

ドキドキで入庁した10年以上前…

退職までには4箇所経験させていただきました。どこも刺激的で且つ激務でした。

それでも、周りの先輩方のサポートもあり、毎日楽しかったです。仕事自体も苦ではなかったですし、大好きでした。

育休から復帰するまでは。

それまでは残業なんて大したことなかったですし、やりがいも感じていたんです。

「こんなに大きな仕事を分担してもらえて、なんて有難いんだろう。」

と思いながら必死に努力していたし、周りよりも多く昇級して評価していただける環境が本当に好きでした。

ところが、産後の私はもちろん仕事より娘。それまでは仕事のための生活な勢いでしたけど、きちんと生活のための仕事と考えられるようになりました。

私のいた自治体には、育児のための時間休があり、それを毎日30分いただき、保育園のお迎えに間に合うようにしていました。

ちなみに夫は夫で異動があり、激務の部署にいたので基本帰りは終電、のようなところにいましたので、基本は私が時間休をいただいていました。

職場の皆さんにもご理解をいただいており、本当に有り難かったです。

基本的に残業は出来なかったので、産休前に持っていた業務は他の方に副担当としてついてもらい、カバーいただくような形となっていました。

ところが、復帰から数ヶ月した後、人事異動がありました。

そこで行った先が、少し問題だったんですね。

詳しくは書けませんが、結局私も残業まみれの生活に戻ってしまったのです。

夫も残業、私も残業。では、どちらが保育園のお迎えにいくのか?

毎日ギスギスしていました。時間に余裕が全くなかったのです。

「お金のことを考えたら、数年間踏ん張ればいい。でも、娘との大事な数年間を、仕事のために潰してしまうの?」

こんな葛藤が生まれたんですね。

もうみんなボロボロ。そんなある朝、夫がこう言ったのです。

「もう辞めてもいいんじゃない?」

私はキャリアなんてどうでもいいと思っていることはずっと夫に話していたので、夫はそのまま仕事を続け、私が辞める、といった案を出してくれました。

私はすぐに頷き、上司に伝えました。

辞めるまでも色々とありましたが、無事に退職。

これまで応援してくださった高校の先生方のことや、お世話になった皆さんのことを考えると心苦しかったですが、娘との時間のほうが大切だったので、辞めてよかったと思っています。

今はほぼ残業なしのパート勤めで、子供のこと、家庭のこと、満遍なくカバー出来ています。

この生活が出来るのは、今もたくさん働いてくれて大変だけど、「辞めてもいいんじゃない?」と声をかけてくれた夫のおかげです。

本当に感謝です。

現在の働き方について

現在も、とある事務職として勤務していますが、パート勤務で基本残業は発生しません。

それでも正社員の方々と同じ業務をこなしていますし、法律や規則なんかも読みながら仕事をする環境ですので、仕事の進め方としては自治体正職員のときとほぼ変わらず、やりやすいです。

一度帰宅してから夕飯を作り、余裕で保育園にお迎えに行く、という流れです。

そこからはお風呂にはいったりご飯を食べたり遊んだり、平凡な夜を過ごしています。

お給料はガクンと減ったし、将来まだ年金制度が残っていたとしても、その受給額も少なくなったでしょう。

それはそれで、老後も慎ましく暮らせればよいのです。

平凡でなんてことない生活。娘や夫との大切な時間を組み込められているこの瞬間が、とっても幸せです。

もちろん、正職員のままでうまくいけば1番良かったのですが、退職してどこかでパートになっても、十分幸せに過ごせていますよ〜!

みんなが肩の力を抜けて、ワークライフバランスを取れた世の中になりますように。

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